17番(八木秀英)
 それでは、最後の質問に入ります。町職員の倫理観を問うということで質問をいたします。
 このところ、公務員の倫理観の欠如に起因すると思われる事件が多発し、連日のようにテレビ、新聞等のマスコミで取り上げられております。外務省を初めとする国家公務員、県職員、市町村職員、裁判官、検察官、警察官、教職員などによる公金横領、職務怠慢、文書偽造・行使、セクハラ等、事件の内容は多種多様であります。だれもが悪いことだとわかるはずのことを社会生活の中で規範となるべき立場にあるものがどうして、世の中どうなっているのと驚きを超え、叫ばざるを得ません。
 昨今、役人がかかわった事件等多く見聞きするせいか、近ごろ妙に頭に残り忘れられないのが、「役人と悪人は一字違い」という言葉です。役人は公僕であるから国民の使用人だという人もおりますが、私は必ずしもそうは思えません。むしろ役人と国民との立場は逆で、役人、これは公務員ですけれども、公務員の待遇などは、庶民からすれば雲の上、極端に言えば、端的に言えば、役人はお上であります。
 皆さんもよく御存じのテレビドラマに、「水戸黄門」という時代劇がありますが、このテレビドラマの主人公、先の副将軍水戸光圀公は、善良な庶民を困らせるお役人の悪代官や、悪徳商人などを懲らしめ、貧しくも懸命に、清く正しく生きる庶民から慕われる世直し善人といった設定になっております。お決まりの時間帯には、「ええい、皆の者、頭が高い。この印籠が目に入らぬか」と、三葉葵の紋所のついた権力の象徴を出して、それ対しまして、下々の者はひざまずくシーンが必ずあります。時代劇のドラマですと拍手喝采のうちに見る場面でありますが、私は権力が及ぼす影響力の強さをかいま見ながら、このやりとりを現代社会に置きかえたらどんなものだろう、生活様式が進歩したとは言え、現代社会においても、悪事とそれを取り巻く人間性など、進歩はないというか余り変わらないのではないのかなと考えさせられました。
 ドラマは、黄門様と助さん、格さんなど家来の働きで、めでたしめでたしで終わりますが、現実に立ち返って見ますと、世の悪は変わらずはびこって、善良な町民の苦しみ、悲しみは相も変わらず、その上、世直し人となり得る人は、声を発したとたん、目には見えない何か大きなものに覆われたかと思うと、わけもわからないままその存在すら忘れられ、悪事があったことも人々の記憶から忘れ去られてしまうように感じています。日常何気なく過ごしていても、権力が及ぼす影響力の大きさを痛感する場面は必ずあります。多少の理不尽があろうとも権力の下では面と向かって反論できないのが現実というものであります。この現実は、悲しいかな永遠と続いてきた日本の歴史の一面でもあります。
 それにしても、昨今の役人、公務員が関係した事件での官僚の対応、また、その悪人ぶりにはすさまじいものを感じております。県や市町村などはもとより、一国の運命をも左右するような内容の事件もあります。このような事件が起きるということは、言いかえれば役人、公務員や官僚など、それだけ大きな権力を持っているということであります。しかも、その待遇は庶民と比べれば、大変に優遇され、雲の上の状態というか、まさにお上といった状況に思えます。こんな状況に置かれているゆえに、庶民からかけ離れた存在、社会から遊離してしまっているのではないのか、しつこいようですが、お上の判断1つで国民の明暗、国の進路が決まります。お上の責任は重大であります。でありますから、お上の資質、公務員の資質が大変に重要視され、より高い倫理性、人間性が公務員には要求されてくるわけであります。今こそ悪人ではない、庶民の痛みのわかる誠の役人になることが望まれております。
 なぜ公務員ばかりが責められ、どうして民間人の事件に比べて公務員に対する批判がこれほど強いのかと思う向きもあるでしょうが、それにはそれなりの原因というか状況があるわけなんです。それなりの原因というべき状況とは、公務員の絶対的な権力、地位を悪用したさまざまの事件が次々に起きているということであります。先ほどのように、時代劇でドラマをかりて言えば、「お代官様、さすがにお目が高い、おこぼれをぜひ私目にもよろしくお願いをいたします」「越後屋、お前も悪よの」「いえいえ、お代官様ほどではございません」お互いが悪事を賛美し合う悪代官越後屋と、悪人にお仕置きをしてくれるはずの黄門様が同じ穴のむじなになり下がり、しかも葵の御紋を振りかざし、何の悪びれもなく、悪事に手をかしているといったような事件が現実に日々起きており、このような状況が続くことのないように、国民から問題視、重要視されているからにはほかなりません。
 私としては、役人は常に国民の規範であれと望んでおりますが、再三申しますように、今日の倫理観の欠如によると思われる役人の不祥事は、公務員への尽くしがたい不信感を抱かせております。私が思うには、とかく不祥事といったものは、隠ぺいされがちでありますので、新聞などの報道により知り得た不祥事だけでもその数の多さ、多種多様さには大変驚いておりますが、事件として表面化しない不祥事は、もっともっと多く起きているのではないかと推察をいたしております。不祥事の表面化で、組織のイメージダウンやさまざまのマイナス要因など、問題から生じる悪影響の波及を恐れる余り、何か問題点を指摘されますと、事実関係の積極的な解明はまず後回しにされ、指摘をされた問題点を正当化するために組織力を最大限に生かし、さまざまな形態で修復、訂正、修正を図り、指摘をされたものは、ほとんど異論をはさまない形態となり、結果として抵抗感もなく、事件等の隠ぺいが図られる傾向、隠ぺい工作チームはないにしても、知らず知らずのうちに隠ぺい工作が最優先されるような雰囲気が組織内に充満しているような状況はないでしょうか。指摘を受けても問題の本質を見失うなど、公務員の自己管理能力の希薄さ、倫理観の欠如から、犯罪に対する認識の甘さが生まれ、必然的に事件続発の起因、元凶となりかねないとマスコミ等でも指摘をされております。
 こうした指導部の組織防衛最優先の考え、体質が真実を追求し、社会正義を貫き続ける黄門様ではなく、世の中に存在してほしくない悪代官を生み続ける起因、要因であり、世に言う諸悪の根源になりかねません。組織防衛を最優先に隠ぺい工作がされていると、よほどのことがない限り、事実関係が表面することはなく、たまに内部告発等により訂正・修正などの事実が表明化する程度で、それもごくごくまれなことでありまして、実際には疑問・問題等の存在が認識されることはまずあり得ませんので、当然それに対する罰則・処罰等を受けることも現実にはほとんどないと言えるでしょう。
 こうした組織防衛最優先に、事件の起因者をも守ってしまうそうした日常が繰り返されていく中で、必然的に組織職員の中に甘えが生じ、この程度のことならどうせわからない。よほどのことがない限り、事犯が表面化することはない。もしわかったとしても、どうせ処罰なんかできない、だから何をやっても大丈夫、身分は保障されているといった誤った考え、風潮が蔓延し、現代社会から遊離した価値観、倫理観が定着していくのか、あるいは犯罪に対する感覚が麻痺して、犯罪を犯罪として認識することもできないような状況、倫理観の欠如を心配さぜるを得ない状況にいたってしまうのか。
 いろいろと申し述べてまいりましたが、役人の不祥事がこうも連日全国で頻繁に発生しておりますと、我が長泉町は、大丈夫かと心配であります。長泉町ではそのようなことがないよう、また起きないよう願っておりますが、うちの子に限って、よく言われておりますように、長泉町の職員に限ってとか、長泉町の職員は例外だとか言ったようなことでは、到底納得をしていただけるわけでもありませんので、町職員の倫理観に対する認識と啓発、推進について、また長泉町の実情についてお伺いをしたいと思います。
 俗に言う、不祥事の中でも人権を無視したセクハラ行為やのぞき行為などの全く破廉恥で低俗な犯罪が権力を傘に行われるような事態は論外で、町の職員に対してそのような心配をすること自体無用なことかもしれませんし、当町においては、町の職員が地位、権力を悪用して、庶民の信頼を失墜しかねない事件を起こすことのないよう望んでおりますが、どのような事件でありましても、事件が発生してから慌てることのないよう、職員に対して常に倫理観に対する啓発活動の推進を図っていく必要があると私は考えますが、町の考え方をお伺いしたい。
 また、当長泉町の近年の状況をお伺いしたい。町民に対して不信感を抱かせるような行為や、倫理観の欠如が原因、あるいはさまざまな権力、地位を悪用して生じた犯罪、事件についてと、地方公務員法に定められている事件に対する懲罰等について、具体的な事例を挙げていただきお答えを願いたいと。また、微細なものでも結構ですから、事件と事件発覚後の処分に至る結果等ありましたら、お願いをいたし、なお仮に事件等が発生したといたしましても、事件の発覚によりイメージダウンを町が恐れる余り、組織防衛に走って、小手先の戦略に終始し、結果的に取り返しのつかない事態に至ることのないように、事件の、事犯の、事実関係の把握、徹底的な原因の究明を図り、真実をあきらかにした上で、事件に対する厳しい対応が必要と考えます。
 幾度となくしつこいようではありますが、小さな事件の隠ぺいが大きな事件を誘発しやすいということを十分に御認識をしていただきまして、本町においては、決して本末転倒な事例、事犯に対して、意図的な隠ぺいを図るようなことのないようにしていただきたいと思います。事件の再犯、誘発を未然に防ぐためにも、事件に対する厳しい対応が要求されるものと私は思っていますが、指導する立場にある者として事件の再発防止のために自らを律し、事件の責任を明確にし、真っ正面から厳しく対応していく姿勢があるのか、不幸にして事件が発生したときこそ、部下への範となるべく指導者がみずから悪人ではなく、庶民の痛みのわかるまことの役人となってほしいものでありますが、今後町民が安心して役人を信頼できる体制を堅持していこうという姿勢があるのか所信をお伺いしたい。事件を起こす原因は個人にあるというよりは、むしろ役人という地位とその地位に与えられる権力にあります。個人的な利権や欲望、いわゆる私利私欲のために短絡的に権力の誤った行使に走りがちで、権力を持つ者ほどその影響力は大きく、権力を持つ者の前で、権力のない者、弱者はほとんど無力であります。それゆえ役人の犯罪の多くがさまざまな絶対的な権力、地位を悪用している点から見ても、厳しく(「時間足りないよ」の声あり)追求されるのは当然のことであります。また、役人をめぐる……。

Copyright(C) 1997  長泉町役場 議会事務局 e-mail:gikai@nagaizumi.org
Last Update 2003. 1.17